「ヴィジュアル系ビートロック」そして「ソフトヴィジュアル系」へ ~伝説的ロックバンドBOØWYの系譜を辿る~

解散から30年を経た今も多くの音楽ファンやアーティストから熱い支持を受け、語り継がれてきたロック界の伝説BOØWY(1981-1988)。日本における不良とロックの関係性をネクストステージに導き、ビートロックと呼ばれる海外にはない日本オリジナルのスタイルを確立。80年代の音楽シーンをリードし、歴史を塗り替えた4人組ロックバンド。BOØWYの影響力は絶大で、あの奥田民生や小室哲哉もリスペクトを表し、後に音楽市場を席巻したビーイングブームにも強い影響を与えた。もちろん、その影響は90年代に一大ムーブメントとなったヴィジュアル系と呼ばれるアーティスト達にも及ぶ。しかし、ヴィジュアル系のカテゴライズ論争や差別問題なども影響してか、「BOØWY」と「ヴィジュアル系」の関係性について語られる事は少なかった。そこで今回のコラムでは90年代ヴィジュアル系シーンにおけるBOØWYの系譜を辿り、その影響下にある「ヴィジュアル系ビートロック」と「ソフトヴィジュアル系」に迫る。


BOØWYがヴィジュアル系へ与えた影響

キャロルから引き継いだジャパニーズロックンロールを基盤に、パンク、ニューウェイヴ、めんたいビートなどの要素を取り入れたヴィジュアルとサウンド。シャープでエッジの効いた縦ノリの8ビートに、伝統的ロックンロールとアバンギャルドが共存するカッティングを多用したギター、日本人の琴線にふれる歌謡曲のようにキャッチーなメロディー。BOØWYが完成させたビートロックというスタイルは、後のヴィジュアル系バンド達へ大きな影響を与え、多くのフォロワーを生む。影響を及ぼした因子を抽出すれば枚挙にいとまがないが、いくつか例に挙げてみよう。空集合の"Ø"を使用したバンド名に影響され、記号や特殊文字を使用したバンド名が増殖。布袋寅泰曰く「パンクとロカビリーとニューウェイヴをミックスさせた」という逆毛リーゼントも多くのバンドマンに模倣され"髪立て系バンド"なんて言葉も生まれた。黒のスーツを基調としたファッションは、ロックンローラーでもパンクスでもメタラーでもない、全く新しいロッカーのスタイルを提示、衣装として使用したジャン=ポール・ゴルチエは、バンドマンやファンたちの聖衣になり、フォロワーたちは"黒服系"バンドと呼ばれた。氷室京介のマンガから飛び出してきたようなルックスとキャラクター、トラディショナルかつトリッキーで神懸かり的なプレイスタイルを持つクレイジーギター布袋寅泰、直立不動のダウンピッキング松井恒松、ミスターエイトビート高橋まこと、異なる個性の集合体である4人の佇まいは、後のゴレンジャー的キャラ立ちヴィジュアル系バンドの先駆者だったとも言える。新宿ロフト、渋谷公会堂、日本武道館、東京ドーム、彼らが辿ったサクセスストーリーは後続バンドの道標となった。とにかくカッコつけまくるステージングとMC。正しい文法よりも響きやノリを重視するヤンキー言葉/和製英語を用いた、キザでスイートなラブソング。社会に対する反骨心をあらわした歌詞は、大人や周りに流されず自分らしく生きろ!と訴えかけるメッセージ性を持っていた。楽曲は一聴するとポップでありながら、そのアティチュードは硬派で尖っている。メジャーバンドでありながら、アンダーグラウンドの危険な魅力を漂わせている。これらは間違いなく後のヴィジュアル系バンドに影響を与え、引き継がれたものであろう。──それでは、BOØWYがどういったバンドに影響を与え、その影響はどのように変化していったのか?時系列に沿ってヒストリー形式で解説していく。

BUCK-TICK

BOØWYフォロワーの中で代表的な存在といえるのが、同じ群馬出身のバンドで後輩にあたるBUCK-TICKである。BUCK-TICKがメジャーデビューしたのは、BOØWYが解散宣言した1987年。BOØWYをさらに過激にしたようなヴィジュアルが話題を呼び、ルックスの良さからアイドル的な人気を博した。当初はBOØWY直系のニューウェイヴィーでポップかつパンキッシュなビートロックをメインとしていたが、徐々にゴシックロックに傾倒していき、1990年にリリースしたアルバム「悪の華」で独自の退廃的な"デカダンビートロック"を確立、後のヴィジュアル系バンドに大きな影響を与えた。その影響力からBUCK-TICKはヴィジュアル系の始祖と呼ばれ、アルバム「悪の華」はヴィジュアル系バンドの聖典とされる。以降もポピュラリティーを失う事なく、先鋭的な要素を取り入れ、独自進化を遂げた唯一無二のモンスターバンドと化す。メジャーデビュー以降メンバーチェンジすることなく、第一線で活躍し続けるリビングレジェンド。LUNA SEAのSUGIZOとJは「アブノーマルさをポップソングの中へ見事に溶け込ませ、チャートのトップをとり、東京ドームでライブを成功させ、デカダンな要素を持ったアーティストで初めてメジャーシーンでトップに立ったバンド、強い影響を受けた、リスペクトしている」と評している。

JUSTY-NASTY

BOØWY解散後に布袋寅泰と、吉川晃司が結成したCOMPLEXがデビューシングル「BE MY BABY」をリリースした1989年。この年、シングル「言いだせなくて」アルバム「CRASH」にてメジャーデビューを果たしたのがJUSTY-NASTYである。JUSTY-NASTYは、伝説的バンドAION、MEIN KAMPFなどで活動していたRODこと藤崎賢一を中心に結成されたバンド。初期は所謂バッドボーイズロック系のスタイルであったが、デビュー後徐々にニューウェイヴ方面へスタイルを転換、次第にBOØWYを彷彿とさせるビートロックタイプのバンドへと変貌を遂げた。王道の甘く切ないメロディーと、疾走感溢れるビートの効いたロックンロールを武器に「ジェラシー」「盗まれた瞳」など数々の名曲を残す。1991年にはJUSTY-NASTY流のビートロックを確立した自他共に認める最高傑作アルバム「J」を完成させたが、その後メンバーチェンジなどもあり1995年に解散。2015年には結成時のオリジナルメンバーで、四半世紀以上の時を超え奇跡の再結成を果たした。

D'ERLANGER

90年代ヴィジュアル系はじまりの年である1990年。黄金時代の幕開けとなったこの年にメジャーデビューを果たしたのがD'ERLANGERだ。初期のD'ERLANGERは、ギタリストCIPHER(瀧川一郎)がジャパニーズヘヴィメタルバンド44MAGNUMのローディーを務めていた事などもあり、ジャパメタ路線のサウンドスタイルであった。しかし、SAVER TIGER(hideがX加入前にリーダーを務めていたバンド)などに在籍していたkyoとTetsuの加入後に、ビートロックを基盤としたサウンドスタイルへ移行。BOØWY、BUCK-TICK、Bauhausの影響を感じさせるサウンドに、HANOI ROCKSやZIGGYあたりを彷彿とさせるバッドボーイズロックのエッセンスを散りばめたD'ERLANGER流の"デカダンビートロック"を完成させた。メジャーデビュー後わずか11ケ月で解散という極めて短い活動期間ながら、SADISTICAL PUNKと標榜する衝撃的なそのサウンドは多くのフォロワーを生んだ。また、CIPHER(瀧川一郎)は、ヴィジュアル系史においてフォロワー数の多さでは一、二を争うギタリストで、INORAN(LUNA SEA)やDie(DIR EN GREY)などに強い影響を与えている。LUNA SEAのINORANと真矢は「ヴィジュアル系って言われてるバンドの要素をすべて持ってるようなバンド」だと語り、清春は「ジャパメタとビートロックが融合したのがDERLANGERだった、発明とも言えるサウンドだった、D'ERLANGERがその後のヴィジュアル系に与えた影響は大きい」と評している。2007年に解散時のラインナップで再結成を果たし、現在も活動を続けている。

STRAWBERRY FIELDS

1991年にメジャーデビューしたSTRAWBERRY FIELDSは、D'ERLANGERのヴォーカリストだった福井祥史(DIZZY)とJUSTY-NASTYのギタリストだったLEZYNAを中心に結成されたバンド。ポップかつマニアック、ダンサブルで明快なビートロックが人気を博し、アルバム「nouvelle parfum」でメジャー進出を果たす。一口にビートロック、ニューウェイヴと言っても、STRAWBERRY FIELDSのサウンドは、Sigue Sigue SputnikやMissing Personsらの影響を感じさせるものから、U2あたりを彷彿とさせるようなアプローチまであり、懐の深い音楽性を持ったバンドだった。インディーズでリリースした「DANCERAMA」「Charme」、メジャーでリリースした「nouvelle parfum」「ALiBI」「SOUL FLOWER」など素晴らしい作品を残したが1993年に解散した。

ZI:KILL

STRAWBERRY FIELDSと同じく、1991年にシングル「LONELY」でメジャーデビューしたZI:KILLもヴィジュアル系ビートロックと呼べるスタイルを持っていた。後続バンドの聖典となった1990年リリースの「CLOSE DANCE」は、ポジティブパンクからの影響を基軸にしたものだったが、ヴォーカリストTUSKの描く"はみだし者のブルース"的な世界観はポジティブパンクというよりはビートロックに通ずるものだった。それもそのはずで、彼らはBOØWYやUP-BEATからの影響を口にしていた。YUKIHIRO(現L'Arc-en-Ciel)脱退後の、メジャー1stアルバム「DESERT TOWN」ではさらにビートロックへ接近したサウンドを見せ、SIONや長渕剛を彷彿とさせるフォーキーでブルージーなスタイルをより強めた。1991年にはD'ERLANGERを解散したTETSUが加入したが、同年脱退。その後レコード会社を移籍し、より音楽性の広がりを見せた「IN THE HOLE」「ROCKET」をリリース。2度の日本武道館公演を成功させたが、1994年に解散した。BUCK-TICKやD'ERLANGERと共にヴィジュアル系を創造したレジェンドバンドのひとつである。

Luis-Mary

STRAWBERRY FIELDS、ZI:KILLに続き1991年にメジャー進出したのが、灰猫(Haine)こと西川貴教が在籍していたLuis-Maryである。西川は既にこの頃から歌唱力モンスターの片鱗を覗かせており、Luis-Maryの持つストレートでピュアなビートロックと抜群の相性を見せている。安定感のあるヴォーカルとそつの無い楽曲でブレイクを期待されていたが、1993年に解散。その後、西川はソロプロジェクトT.M.Revolutionにて大ブレイクを果たす。ギターの山下善次とベースの丸山武久は、Ber:Satiのヴォーカル上條貴志とヴィジュアル系ビートロックバンドNUDEを結成する。

DIE IN CRIES

D'ERLANGER解散後、KYOのソロプロジェクトとして始動したDIE IN CRIESが、THE MAD CAPSULE MARKET'Sのギター室姫深と、THE ACE(Every Little Thing伊藤も在籍していたジャパニーズヘヴィメタルバンド)のベースTAKASHI、ZI:KILLを脱退したドラムYUKIHIROを迎えバンドスタイルでの活動をスタート。1992年にシングル「MELODIES」でメジャーデビューする。力強くも甘いKYOのヴォーカル、布袋寅泰、今井寿の影響を受けたポップかつアヴァンギャルドな室姫深のギター、5弦フレットレスベースを巧みに操るTAKASHIのベース、無機質で緻密なマシンのようなYUKIHIROのドラム。4人の確かなセンスとスキルが生み出す、ニューウェイヴやインダストリアルの要素を含ませた、マニアックかつポップでキャッチーなビートロックは、他のBOØWYフォロワーの追随を許さない高い音楽性を誇っていた。ロックIQの高さが醸し出すインテリな雰囲気とは裏腹に、KYOと室姫深が持つ不良性も魅力。日本武道館公演を成功させるなどしたが、1995年に解散。その後、KYOはソロデビュー、室姫深はミクスチャーバンドBLOODY IMITATION SOCIETYへ、TAKASHIはFAMEへ、YUKIHIROはL'Arc-en-Cielに加入した。

REDIEAN;MODE

1993年に入り、インディーズシーンで頭角をあらわしはじめてきたのが、D'ERLANGERやZI:KILLの影響を感じるヴィジュアル系ビートロックのバンドREDIEAN;MODEである。インディーズながら海外レコーディングにて制作されたアルバムをリリース、シングルCD3枚同時発売などが話題を呼び、1994年にメジャーデビュー。デビュー直前からヴィジュアルをソフトな路線へ変更し音楽性もストレートなポップロックへ移行、後のソフトヴィジュアル系に繋がるようなスタイルを打ち出す。精力的な活動を続けたが1997年に解散。2003年には再結成を果たしている。アルバム「Trap Trap Trap」に収録されている「LONELY EYES」、インディーズにてシングルリリースされた「Cool Rain」(メジャーデビューアルバムにも「冷たい雨-COOL RAIN-」として収録)はビート系ファン必聴の名曲。

名古屋系ビートロック 

1993年頃には"名古屋系"と呼ばれるバンドが台頭しはじめる。この名古屋系という言葉には二つの意味があり、広義では中京圏ヴィジュアル系シーンを出自に持つバンドの総称、狭義ではポジティブパンク/ゴシックを基盤に当時の王道よりも"よりダークでよりコア"なものを目指した黒夢などの系譜に連なるバンドの音楽性を表す言葉として使われている。広義での観点から見ると名古屋系には二つの主流がある事が見えてくる。一つは初期の黒夢やMerry Go Roundのようなポジティブパンク/ゴシックの系譜にあたるバンド、もう一つはビートロックの系譜にあたるヴィジュアル系ビートロックタイプのバンドである。


  • Silver~Rose

そのヴィジュアル系ビートロックタイプの代表格バンドが黒夢と共に名古屋シーンを牽引したSilver~Roseだ。Silver~RoseはビートロックバンドR-STREETのKAIKIを中心に結成されたバンド。黒夢が王道に対するカウンター的なスタイルを指向したのに対し、Silver~RoseはZI:KILLやD'ERLANGERを彷彿とさせる王道的なスタイルを持っていた。ニューウェイヴ、ポジティブパンク/ゴシック的なアプローチも見受けられるが、前面に出ているのはハードでダークなビートの効いたロックンロールで、ビートロックやめんたいビートなどの80年代ジャパニーズロックの香りを漂わせている。YOWMAYの男っぽい色気のあるヴォーカルや、後にLaputaに加入するKouichiのギター、名古屋シーンの重鎮KAIKIのベース、後にMerry Go Round/Kneuklid Romanceに加入するKyoのドラム、メンバー各々のプレイも素晴らしく楽曲の完成度も高い。名古屋シーンを代表するレジェンドバンド。1994年に惜しまれつつ解散。


  • Sleep My Dear

Silver~Roseに続き、1993年に1stアルバム「MOVE」をリリースしたSleep My Dear。音楽性は、BUCK-TICKやZI:KILLの影響が色濃く、彼らもまたヴィジュアル系ビートロックの要素をもったバンドだと言える。TUSKチックなKöHeyの力強いヴォーカルと、ヴィジュアル系の王道を突き詰めたキャッチーな楽曲が魅力。1995年には、シングル「Ask for Eyes」でメジャーデビューを果たす。1998年解散。


  • DIE-ZW3E

同じく1993年に1stアルバム「Di・es・I・rae」をリリースしたDIE-ZW3E。こちらもまたビートロック、めんたいビートの香りを漂わせるヴィジュアル系ビートロックタイプのバンドであった。THE STREET BEATS、横道坊主あたりの80年代不良系ロックンロール/パンクの系譜を受け継ぐような音楽性と、ヴォーカル結城敬志の不良性全開なキャラクターが強烈な個性を生み出している。SOPHIAのベーシスト黒柳能生が在籍していた事でも知られている。


  • Of-J

同じく1993年に1stアルバム「anamorphosis」を黒夢のレーベルLa†missからリリースしたOf-Jもヴィジュアル系ビートロックタイプのバンド。Of-Jは、黒夢の前進バンドにあたるGARNETのギタリストだった真宮香、黒夢のギタリストだった臣が在籍していたGERACEEのヴォーカリスト安田政利を擁するバンド。Merry Go Roundの准那、JILSやMoi dix Moisで知られる冨安徹も在籍していた。

BODY

90年代の折り返し地点となる1994年。瀧川一郎(CIPHER)と菊地哲(Tetsu)が、ヴォーカリストに木村直樹、ベーシストに岡田基樹を迎え、新バンドBODYにてシーンへカムバックを果たす。ストレートでピュアなビートロックに回帰したスタイルで、まさにビートロックアンセムと呼ぶに相応しい超名曲「I LOVE YOU」にて華々しいメジャーデビューを飾る。続くアルバム「FLAME」は好セールスを記録(音のバランスが悪いという指摘もある)し、日本武道館にてデビューライブを成功させる。しかしその後、様々な事情からデビュー後約2ヶ月でBODYは解散となってしまう。菊地哲の公式サイトによると1994年4月デビュー、同年6月解散。

1994年 "脱・黒服現象" "フェミ男の変" そして "ソフトヴィジュアル系" 誕生へ

ヴィジュアル系のサブジャンルに、従来のヴィジュアル系よりソフトなメイク、黒を基調としないカジュアルな衣装、メロディアスな歌モノのロックを主とするバンドを指すソフトヴィジュアル系(ソフヴィ/ソフビ)と呼ばれるものがある。ヴィジュアル系というカテゴリー、その他のヴィジュアル系サブジャンルと同様に明確な定義はない。音楽性も様々で、ビートロックタイプ、ハードロックタイプのものや、デジタルロックタイプのものまである。ソフトヴィジュアル系と呼ばれるバンドの多くはBOØWYからの影響を公言していて、ビートロックとの親和性が高い。ここからは「ヴィジュアル系ビートロック」に加えて、その発展系である「ソフトヴィジュアル系」も交えて解説していく。

1994年ごろ"フェミ男"と呼ばれる中性的な男性ファッションのスタイルがブームとなる。MILK BOYやSUPER LOVERSなどを愛用ブランドとし、ピタTというタイトなTシャツやボンテージファッションなどを取り入れたスタイルでソフトパンクファッションとも呼ばれた。ファッションアイコンとして、いしだ壱成、武田真治などがいる。このスタイルをいち早く取り入れ黒服を脱ぎ捨てたのが、黒夢とREDIEAN;MODEだった。両者の変化はソフトヴィジュアル系はもちろんのこと、ヴィジュアル系カルチャーと原宿系ファッションを結び、ゼロ年代オサレ系(お洒落系)に繋がるファーストステップだったと言える。そしてこの年にはLUNA SEAが自身の存在を日本中に轟かせたシングル「ROSIER」をリリースした年でもある。楽曲の圧倒的な完成度はさることながら、ナチュラル化したRYUICHIのヴィジュアルは大きな衝撃を与えた。これらの脱・黒服、ソフト化の影響を受けたのが、この年結成された松岡充率いるSOPHIAだ。ヴォーカルの松岡は清春(黒夢)と同じスタイリストを使用するなどポップ期の黒夢に強い影響を受けていた。ソフトなメイクにカジュアルな衣装、ビートロックを基盤にしたポップな音楽性を持ったSOPHIAはソフトヴィジュアル系の元祖と呼ばれている。そして忘れてはならないのが、同年にYOSHIKIプロデュースのシングル「RAIN」でメジャーデビューを果たしたGLAYの存在であろう。ビートロック、従来のヴィジュアル系王道サウンド、フォークロックを掛け合わせたキャッチーなポップロックで、SOPHIAと並びソフトヴィジュアル系の元祖と言える存在である。GLAYの魅力で特筆すべきなのは、ロックバンドでありながら全く"攻撃性"が感じられない(もちろん良い意味で)ところである。楽曲やメンバーの佇まいから醸し出される人の良さそうな雰囲気、それは戦略的に作られたものではなく、メンバーの人間性から自然と滲み出ているものだと感じる。某テレビ番組で"親に紹介できるヴィジュアル系"と称されていたのは言い得て妙だった。こういったGLAYやSOPHIAのアイドル性、ビートロックから攻撃性や男臭さを排除したソフトなスタイルは、ソフトビジュアル系バンドへ引き継がれていく事となる。

ポストヴィジュアル系ムーブメント(V系バブル)前夜となる1994年、他にもエポックメイキングな出来事がいくつも勃発していた。後にメジャーシーンでブレイクを果たすex.妖花のTAMA率いるCASCADEがヴィジュアル系インディーズレーベルから1stアルバム「APOLLO EXERCISER」をリリースしたのもこの年である。当時の音楽性はシューゲイザーなどの要素を持つ前衛的なサウンドだったが、ヴィジュアルは既に原宿系ファッションを取り入れたカラフルでポップなスタイルを見せている。その後確立する"ネオ・ニューウェイヴ歌謡"サウンドは、ヴィジュアル系も渋谷系も下北系もごちゃ混ぜにしたようなごった煮サウンドで、どこかナゴムイズムを感じさせるものだった。後に、ポストナゴム系のような位置付にあったアングラ系(密室系などと呼ばれる)バンドムーブメント、原宿系ファッションとリンクしたオサレ系(お洒落系)バンドムーブメントが起こるが、CASCADEがこれらの先駆者的な存在だという捉え方もできるだろう。

また、メロディックハードコア(メロコア)、ミクスチャーロックなどの新しいスタイルが浸透し始めた年でもある。DIE IN CRIESのギタリスト室姫深がミクスチャーバンド"BLOODY IMITATION SOCIETY"を始動させ、エクスタシーレコード所属のDEEPはポジティブパンク/ニューウェイヴ系のスタイルから、ストリート系のスタイルへ変貌を遂げた。ストリートカルチャー、ラウドロックシーンとのリンクを見せはじめたのもこの年からだと言えよう。

Gilles de Rais - Crack A Boy(1994)

残酷物語はもう歌えない、これからは不良少年の歌を──。多くのバンドが"脱・黒服"の流れを見せた1994年。Gilles de Raisもまた黒服を脱ぎ捨て、80年代ジャパニーズロックを感じさせるストレートなロックへ回帰し、ラストアルバム「Crack A Boy」をリリースした。タイトルトラックである「Crack A Boy」はビート系ファン必聴の名曲。

ビートロックとヴィジュアル系の王道

ヴィジュアル系の王道曲という言葉が使われる事がある。では、その王道はどこから来て誰が作ったものなのか?90年代ヴィジュアル系の始まりの年である1990年。この年にリリースされた、BUCK-TICK「悪の華」、D'ERLANGER「BASILISK」 、ZI:KILL「CLOSE DANCE」が王道と呼ばれるスタイルを作り上げたと言われている。これは後続バンドを見れば明白である。そしてこの3作に共通する要素がビートロックからの影響である事から、ヴィジュアル系の王道とは、BOØWYの方法論を下地にしたものだと言えるだろう。その後、ヴィジュアル系の王道を完成形に導き、雛形を作ったと言われているLUNA SEAも、BUCK-TICK、D'ERLANGER、ZI:KILLから影響を受けており、ビートロックの血筋を引き継いでいるのは疑いようのない事実。1994年にリリースされた代表曲「ROSIER」は、独創的なバンドアンサンブルで"デカダンビートロック"を昇華し、新しい王道を提示した楽曲だったと言える。未聴の方はぜひとも、BOØWYサウンドとヴィジュアル系王道曲と呼ばれる楽曲を実際に聴き比べて欲しい。点と点が線で繋がるはずだ。蛇足だが、「ROSIER」のMVでRYUICHIが見せたヴィジュアルが氷室チックだったのは意識したものだったのだろうか?

D≒SIRE - 終末の情景 (1995)

1995年、D≒SIREの1stアルバム「終末の情景」がインディーズレーベルからリリースされる。ZI:KILL、D'ERLANGER、LUNA SEAらが築き上げた様式美を突き詰めたようなサウンドと、バンドの根幹から匂い立つビートロックへの敬意。語りを取り入れたナルシシズムたっぷりの内省的なヴォーカル、徹底的に作り込まれたコンセプチュアルな世界観は、初期の黒夢などの名古屋系バンドに通ずるものがある。既存のフォーマットを踏襲しながらも、全く新しい"デカダンビートロック"へ到達した90年代ヴィジュアル系を代表する名盤のひとつである。10人のヴィジュアル系考古学者に「90年代ヴィジュアル系の名盤30選をあげて欲しい」と尋ねたならば、おそらく全員がD≒SIRE「終末の情景」をあげるだろう。

CRAZE

1995年、ビート系ファンにとってオールスターバンドと言っても過言ではないバンドがメジャーデビューを果たす。ex.D'ERLANGER、ex.BODYの瀧川一郎と菊地哲、ex.ZI:KILLの飯田成一、ex.JUSTY-NASTYの藤崎賢一からなるCRAZEである。期待通りの骨太でゴリゴリのビートロックを轟かせ、デビューシングル「NAKED BLUE」はオリコンチャート10位を記録した。アイドル化するロックバンド、商業主義の音楽業界に対し中指を突き立て、ライブでは機材を破壊するなど激しいパフォーマンスを行い、ファンもそれに応えるようにホールクラスの会場でありながら最前へ押し寄せ、古き良き時代を彷彿とさせる暴動のようなステージを展開したキング・オブ・ライブバンド。"走り屋ミュージシャン"と呼ばれるメンバーが、愛車で乗り付ける会場入りもキッズ達を熱狂させた。時代と逆行するような泥臭く熱いビートロックを基盤に、パンク、ハードコア、メロコアやグランジなどの要素を取り入れ、徐々にストリート寄りの色合いを強めていく。1997年にヴォーカルの藤崎賢一が脱退。その後、緒方豊和、鈴木慎一郎とヴォーカルがチェンジし、2000年に盟友ex.ZI:KILLの板谷祐が加入する。2006年SHIBUYA-AXでの公演をもって解散した。

加速する"フェミニンな美少年"路線、ソフト化したヴィジュアル系バンドの商業的成功

1995年に入り"脱・黒服" "ヴィジュアルのソフト化"の流れはさらに加速。LUNA SEAや同期デビュー組である黒夢、GLAY、L'Arc-en-Cielらのバンドはよりポピュラリティーを強め、商業的な成功を収めていく事となる。LUNA SEAのシングル「DESIRE」はオリコンチャート1位を記録し、初の東京ドームライブ"LUNATIC TOKYO"を成功させた。ギタリスト臣の脱退を乗り越えリリースされた黒夢のアルバム「feminism」もオリコンチャート1位を記録し、続くシングル「BEAMS」もヒットさせた。またこの年には、戦略的に黒服を纏っていたSIAM SHADEが脱・黒服してメジャーデビュー。SOPHIA、CASCADEもメジャー進出を果たした。

1996年、GLAYはシングル「グロリアス」をヒットさせ、アルバム「BEAT out!」はオリコンチャート1位を獲得。続くシングル「BELOVED」も大ヒットとなり、同タイトルのアルバム「BELOVED」はミリオンセラーを達成した。L'Arc-en-Cielは、シングル「風にきえないで」「flower」「Lies and Truth」を立て続けにヒットさせ、アルバム「True」はミリオンセラーを記録する。ヴィジュアルも大きく変化し、hydeは女性的なイメージから脱却、フェミニンな美少年路線を打ち出した。黒夢は反旗をひるがえすように、アルバム「FAKE STAR」をリリースしパンクモードへ移行する。

こうした流れに触発され、ソフトヴィジュアル系タイプのバンドがシーンに増殖しはじめた。端的に言ってしまえば、ソフトヴィジュアル系とは"脱・ヴィジュアル系"の動きから生まれたヴィジュアル系バンドの新しいスタイルである。後に、黒夢の清春は「ヴィジュアル系と呼ばれる枠から抜け出そうと思ったが、結果としてヴィジュアル系の幅を広げてしまった」と語っている。

この他にも、GLAYに続きYOSHIKIのプラチナムレコードからDearがメジャーデビュー、名古屋系バンドFANATIC◇CRISISはソフトヴィジュアル系路線に変貌を始め、D≒SIRE YUKIYAはKreis(ソフトヴィジュアル系バンドを多く輩出したインディーズレーベル)を設立、さらにBreak Out(V系に特化したテレビ番組)放送開始など、時代の変動を予感させる出来事が相次いで起こった。

また、ソフトヴィジュアル系バンドが台頭し始め頃から、ヴィジュアル系ビートロックバンドは激減していく。これはソフトヴィジュアル系が、ヴィジュアル系ビートロックに取って代わった存在だという見方も出来る。

Kill=slayd

布袋寅泰とのユニットCOMPLEXを活動停止した吉川晃司は、ソロ活動へ戻り吉川流のビートロックを追求した作品を発表し、不動の地位を確立していた。いわゆる"東芝在籍時代の吉川"はビート系ファンから評価が高く、ヴィジュアル系バンドにも大きな影響を与えていた。そういった吉川晃司からの影響を感じるスタイルで、1997年にメジャーデビューしたのがKill=slaydである。GLAYのTAKUROとのプロジェクトSTEALTHやC4の活動で知られるTOKIがヴォーカルを務めるバンドで、当初はD'ERLANGERインスパイア系のバンドだったが、徐々に吉川色の強いビートロックタイプのバンドへ変貌していく。「Phirosophia」は超名曲、ビート系ファンは聴くべし。

VINYL

シングル「とまらない鼓動」で1997年にメジャーデビューを果たしたのは、ex.STRAWBERRY FIELDSのヴォーカリスト福井祥史と、ex.黒夢のギタリスト鈴木新(臣)のユニットVINYLである。ビートロック、ジャパメタを基盤にしたキャッチーなロックンロールを聴かせ、オムニバス「LEMONed Collected by hide」に「BE」で参加、シングル「とまらない鼓動」「20世紀のマスタード」「ずっとそばにいて」の3枚、オリジナルアルバム「Go to VINYL」の1枚を残した。

ソフトヴィジュアル系の隆盛、Break Outの功罪

1998年、ソフトヴィジュアル系と呼ばれるバンド群は隆盛を極めた。先発バンドたちの目覚ましい活躍はもちろんのこと、GLAY、Dearに続きRAMAR(HYPERMA∀NIAから改名)がシングル「ヒマワリ」でプラチナムレコードからメジャーデビュー、Kneuklid Romanceがソフトヴィジュアル系タイプへ路線変更しメジャデビュー、Break Outが輩出したLastierL'luviaD-SHADE(CRAZEインスパイアのソフトヴィジュアル系バンド)がメジャーデビュー、Kreis出身のBlüeがメジャーデビュー、その他にもILLUMINA、ALL I NEEDらがメジャー進出するなど、その勢いは絶頂を迎えていた。これ以降も、1999年のJanne Da ArcのメジャーデビューやメディアミックスバンドΛuciferの登場を経て、2000年代初頭までソフトヴィジュアル系バンドは一定の勢力を保っていく。

一方で、V系バブルと呼ばれたポストヴィジュアル系ムーブメントは翳りを見せ始める。そのブーム衰退の一因として考えられるのが、GLAYやL'Arc-en-Cielらの商業的成功に便乗したヴィジュアル系バンドの青田刈りである。また、それを扇動した存在としてテレビ番組Break Outを批判する者も多く、同番組出演者も痛烈に批判している。しかし、ヴィジュアル系の存在を一般層まで浸透させた功績は大きく、功罪相半ばだと言える。

「マス」と「コア」 BOØWYとヴィジュアル系バンドの共通点

BOØWYの「何処にも属さない、誰にも似たくない」「俺たちはパンクでもニューウェイヴでもない、BOØWYだ」という"アンチ右へ倣え精神"は、ヴィジュアル系という言葉で一括りにされるのを拒み、唯一無二の存在を目指したヴィジュアル系バンドたちと繋がる。またBOØWYは、洋楽のモノマネのようなバンドを嫌い、あくまで日本製のロックを追求し「歌謡曲でも演歌でも良いものは良い」というスタンスを持っていた。保守的なロックファンからは「歌謡ロックなどロックの歴史として語る価値もない」と言われながら、音楽的革新と大衆性を両立させ、歴史を変える伝説的ロックバンドとなった。対するヴィジュアル系バンドたちも、ヒットチャートで戦えるロックとメジャー志向を持っていた。同じように「格好だけのバンド」「女子供が聴くミーハーな歌謡ロック」と蔑まされながら、メジャーシーンと戦い、ロックバンドに市民権を与えた。すなわち、BOØWYとヴィジュアル系に共通するものは、マス(メジャー)とコア(アンダーグラウンド)を併せ持ったバンドのアイデンティティなのである。

ヴィジュアル系バンドを一括りにし「薄っぺらい歌謡ロックのアイドルバンド」と蔑んだ人たちがいた。表面的にしか物事を捉えられない人間は放っておけと言わんばかりに、彼らの音楽は世界水準のクロスオーバーサウンドで、革新性と芸術性、そしてアンダーグラウンドの空気感を漂わせていた。近年、90年代ヴィジュアル系バンドが再評価されてからは、権威付けされたジャンルを引き合いに出し「ヴィジュアル系というよりもはや○○の域に達している」という評価を与える者もいた。そういった洋楽至上主義/権威主義的な価値観を嘲笑うように、彼らの音楽は下世話なまでに歌謡曲濃度が高く、大衆性を帯びたものだった。

かつて氷室京介は、BOØWYを「本物のロックンロール」と自負した。一部では批判されながら、マイナー路線にも逃げず売れ線にも魂を売らないBOØWYが"本物のロックバンド"であった事は歴史が証明している。そしてまた、BOØWYと同じスピリットを持ち、90年代に日本の音楽シーンを席巻したヴィジュアル系レジェンドたちも"本物のロックバンド"であったと、古代レリーフは語っている。

TEXT:管理人

2020.07.25


サイト内検索



アクセスランキング