hideの命日に寄せて

1998年5月2日。あれから20年以上が経った今でも、世代や国境を超えてhideは愛され続けている。hideを愛するたくさんの人たち、その一人一人に出会いや思いの形があるだろう。その中の一つである筆者とhideの出会い、そしてhideへの思いをここに綴る──。

ロックの原体験はX JAPANだった。それは他のアーティスト目当てで音楽番組を見ていた時のこと。その番組出演者の中で、明らかに異彩を放つ彼らのヴィジュアルと楽曲は衝撃そのものだった。テレビ番組だというのに、ギタリストはガムを噛みながら演奏しカメラに向かってそれを吐き出す、最後にはありあまる衝動を叩きつけるようにギターを破壊し、性行為を連想させるパフォーマンスを見せた。リビングで一緒にテレビを囲んでいた親は、眉をひそめて不快感を露わにしていた。私はそれに同調するように平静を装っていたが、例えようのない衝撃と背徳感に襲われ、その場から動けずにいた。後にそれが"ロック"というものだと知る。私はすぐに彼らの虜になった。大人から眉をひそめられるような彼らが音楽シーンで暴れまわり、時代を塗り替えていく様は痛快だった。不満だらけである十代の子供にとって、彼らはつまらない世の中を変えてくれるヒーローだった。

Xのメンバーの中で特に大ファンになったのがhideだった。私にとってhideは温故知新の人。歴史をかえりみて、その根底に流れる真理を得る。そして、それを自分なりに発展させていくこと。それが、温故知新だ。言葉にすれば簡単だが、これを成立させられる人間は滅多にいない。だからhideは偉大なのだ。1stソロアルバム「HIDE YOUR FACE」は、hideがロックに出会った頃の自分"少年 松本秀人"に向けて作った作品だという。すなわち"少年 松本秀人"というのは"リスナーである私たち"でもある。だからhideの作る音楽は等身大で、今もなお少年少女たちを救い続けているのだと思う。hideの初期衝動を追体験するかのような、パフォーマンスの数々も最高だった。ライブや音楽番組ではグラムメタルのように裸のオネーチャンとステージを闊歩したり、アングラ演劇を彷彿とさせるシアトリカルなパフォーマンスも披露した。「おもちゃ箱をひっくり返したような」この言葉はhideの為にあるようなものだ。もちろん、それらは全て過去の焼き直しではなく、hideオリジナルのエンターテイメントとして昇華している。卓越したセンスを持った人間は、選民意識に囚われ排他的になり閉鎖的でアングラなシーンを作り上げてしまう事が多い。しかし、hideは万人が理解できるポピュラリティーをもってスタイルを確立し、ロック本来のいかがわしさとアティチュードを失う事なく、メインカルチャーの土手っ腹に風穴をあけた。その功績はあまりにも大きい。

私が見たhideのステージの中で、今も鮮烈に覚えているシーンがある。それは初のソロツアー"hide FIRST SOLO TOUR '94 HIDE OUR PSYCHOMMUNITY ~hideの部屋へようこそ~"の時のこと。ショーはフィナーレを迎え大歓声に包まれる中、hideは「ロックンロールの神々ありがとう」 と自分を救ったロックの神々へ感謝の言葉を残しステージを去った。それは偉大なロックの先人たちから託されたバトンを、hideが受け継ぐ儀式のように見えた。──そのバトンを次に引き継ぐ者、音楽シーンを変えてしまうようなヒーローの再来を、hideも心待ちにしているはずだ。

TEXT:管理人

2018年5月2日


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