オールドスクールヴィジュアル名盤解放地帯 #8「BUCK-TICK - 狂った太陽」

クラシックな名盤をレビューしているオールドスクールヴィジュアル名盤解放地帯。今回はBUCK-TICKが1991年にリリースしたアルバム「狂った太陽」をレビューする。収録曲は、M01「スピード」 M02「MACHINE」 M03「MY FUNNY VALENTINE」 M04「変身[REBORN]」M05「エンジェルフィッシュ」 M06「JUPITER」 M07「さくら」 M08「Brain,Whisper,Head,Hate is noise」 M09「MAD」 M10「地下室のメロディー」 M11「太陽ニ殺サレタ」の全11曲。オリコンチャート2位を記録し、第33回日本レコード大賞にて優秀アルバム賞を受賞した。


BUCK-TICKとヴィジュアル系

昨今話題になった"マスク警察"や"自粛警察"。この手の人たちは、こちらの世界にも存在する。言うならば"ヴィジュアル系警察"といったところだろうか。90年代ヴィジュアル系再評価の機運を受けて、BUCK-TICKは「ヴィジュアル系の始祖」というポジションに収まった感はあるが、一昔前は"ヴィジュアル系警察BUCK-TICK課"の方々が厳しい取締りを行っていた印象がある。そこで、全曲レビューに入る前に「BUCK-TICKはヴィジュアル系なのか否か」という禁断の問いに対し、いささか私見を述べる。

90年代において「BUCK-TICKはヴィジュアル系ではない」という認識は決して少数派ではなかったように思う。いや、むしろ多数派だったのではないだろうか。この「狂った太陽」がリリースされた1991年から数年後、私は好きが高じてこの世界に足を踏み入れる事になる。ヴィジュアル系がまだまだ差別されていた頃だ。そこで出会った畑違いのバンドマンやギョーカイ人と呼ばれる人たちは皆一様にヴィジュアル系を小馬鹿にしていたが、BUCK-TICKの話題になると「あれは別格だよね」と口にする人が多かった。また、耳の肥えた音楽ファンから「ヴィジュアル系は好きじゃないけどBUCK-TICKは好き」という話も度々耳にしていた。BUCK-TICKのフォロワーバンドが雨後の筍のようにヴィジュアル系シーンに増殖し、周回遅れで「JUST ONE MORE KISS」や「悪の華」のジェネリックソングを得意げに披露していた頃、当の本人たちは二歩も三歩も先を行っていた。残酷な話だが、あの頃にあったBUCK-TICK非ヴィジュアル系論とは、先進性を高め進化し続けるBUCK-TICKと、形式的模倣を繰り返すフォロワーバンド達の高低差が生んだものだったのではないだろうか。

身も蓋もない事を言ってしまえば、私自身もBUCK-TICKをヴィジュアル系と呼ぶには違和感がある派だ。それはなぜかというと、本来ヴィジュアル系という呼称は、X JAPANやCOLORを中心としたシーン/ムーブメントから出てきたバンドを指す言葉としてメディアで使われ始めたもので、BUCK-TICKはそこをバックグラウンドにしたバンドではないからだ。しかしながら、YOSHIKIが「どこにも属せない人たちが集まってヴィジュアル系と呼ばれた」と言うように、本質的な意味でオルタナティブなバンドをヴィジュアル系と呼ぶのならば、BUCK-TICKほどヴィジュアル系という呼称がハマるバンドはいないのではないかとも思う。

X JAPANやCOLORのように"ヴィジュアル系王国"の建設に直接的な関与がないにも関わらず、強い影響を与え、人脈的繋がりも持ち、ヴィジュアル系バンドの始祖と呼ばれるBUCK-TICKやDEAD END。このヴィジュアル系と呼ばれる得体の知れない概念は、考えれば考えるほど実態を掴む事が出来ない厄介なものである。だが、これだけははっきりと言える。BUCK-TICKをヴィジュアル系の文脈から切り離す事は出来ない。これは揺るぎようのない事実だ。さあ、カテゴライズ論なんていうつまらない話はここで終わりにしようぜ。息の根止めて全曲Review。


BUCK-TICK完全覚醒、デカダンビートロックとテクノポップの融合

前作「悪の華」から約一年のインターバルを経てリリースされた本作は、ファンの間でも最高傑作との呼び声が高く、私自身も死ぬほど聴き込んだアルバムで今だによく聴いている。余談だが、BUCK-TICKを本当のカリスマだとリスペクトするSUGIZO氏も本作をフェイバリットアルバムだと公言していてM10「太陽ニ殺サレタ」を一番好きな曲としてあげている。

本作はBUCK-TICKのメンバー自身がターニングポイントになった作品だと語っているように、完全覚醒を高らかに宣言し、後のスタイルを決定づける革新的な作品である。前作「悪の華」で築き上げた"デカダンビートロック"に加え、「TABOO」あたりから垣間見えていた電子音楽へのアプローチが如実に表れ、ギターテクノ(本人たち曰く)という新たなスタイルを提示した。

先行シングルになったM01「スピード」 は、ジーザス・ジョーンズの影響を受けてアシッドハウスの要素を取り入れたという。マッドチェスター系の楽曲に、得意のデカダンかつ歌謡曲的なメロディーが融合したBUCK-TICKを代表する名曲の一つ。ビートロック的なタテノリからダンスミュージック的なヨコノリへ、過去の自分たちへ対するカウンターともとれるスタイル。MVのサイバーな雰囲気も最高にかっこいい。

M02「MACHINE」 は、デカダンビートロックとテクノポップが融合し、本作でテーマとして掲げられた"ギターテクノ"を象徴するような楽曲。櫻井敦司のローボイスとサイバーな世界観のハマり具合が凄い。

M03「MY FUNNY VALENTINE」 は、BUCK-TICK流のファンクナンバー。ファンクといってももちろん泥臭さは無くデカダンな雰囲気に満ち溢れている。BOØWYの氷室京介と布袋寅泰を彷彿とさせる、櫻井&今井のフリーキーなツインボーカルも炸裂。

スカと8ビートが入り混じった星野英彦作曲のM04「変身[REBORN]」は、前作に収録された「DIZZY MOON」の系譜にあるような楽曲。本人たちも星野英彦の黄金パターンだと語っている。

続くM05「エンジェルフィッシュ」も星野英彦作曲。タンゴの要素を取り入れた楽曲で、格段に表現力を増した櫻井敦司のエロティックなヴォーカルと淫靡な世界観がたまらない。ゲストミュージシャンによるエレクトリックチェロも最高の仕上がり。

M06「JUPITER」も星野英彦作曲で、言わずと知れたBUCK-TICKを代表する楽曲のひとつ。後にシングルカットされ、櫻井敦司が出演したCMにも使用された。12弦ギターとストリングス、エモーショナルなヴォーカルが織りなすサウンドは"美しい"という言葉以外見つからない。櫻井敦司が亡き母へ捧げるレクイエム。

M06に続き櫻井が母への思いを込めたM07「さくら」 は、オリエンタルな雰囲気が漂う楽曲で、ファンの間でも名曲の呼び声高し。前作に収録された「KISS ME GOOD-BYE」のように、暗黒シティポップ的なフレーバーも感じられる。

M08「Brain,Whisper,Head,Hate is noise」 は、今井寿作詞作曲。奇才・今井寿ここにあり!というようなエスニックなアヴァンギャルドナンバー。ギターシンセによるシタールや、フレットレスギター、フレットレスベースなどを取り入れている。これまでも民族音楽的なアプローチはあったが、比べ物にならないほど完成度が上がっている。

後にシングルカットされたM09「MAD」 は、M02に続くデカダンでサイバーなギターテクノチューン。本作からほぼ全ての作詞を手がける事となった櫻井敦司は、この曲の歌詞について「大人になっても純粋な人というのは世の中から狂っていると言われる、"僕は狂っていた"は"僕は純粋だ"に置き換えられる」と語っている。

M10「地下室のメロディー」は、BUCK-TICKでしか成し得ない暗黒インダストリアルパンク。本作のデカダンでサイバーな雰囲気を助長する、全編カナ表記の歌詞に痺れる。

ラストを飾るM11「太陽ニ殺サレタ」は、荘厳な歌謡ゴシックロックナンバー。ギターシンセによる鐘の音が印象的で、どこかバウハウスの「Bela Lugosi's Dead」を彷彿とさせる。

当時のインタビューでメンバーが口々に本作に対する充実感を語っており、櫻井敦司は「この充実感は何ものにも代え難い、人気が上がろうが下がろうが、例え住む家がなくなろうが、車にのれなくなろうが関係ない」という印象的な言葉を残している。この言葉通り、以降BUCK-TICKはアヴァンギャルドな側面を強め、よりコアな方向へ突き進んでいく事となる。


キング・オブ・デカダンス

私がBUCK-TICKに出会った頃、音楽なんてテレビから垂れ流されるコマーシャルミュージックしか知らない普通の子供だった。そんなロックのロの字も知らない教養も知見もクソもへったくれもないガキでも、BUCK-TICKがかっこいいバンドだという事は理解できたし、彼らが生み出す音楽に魅了された。そう、BUCK-TICKは音楽的な先進性を持ちながらポピュラリティーも併せ持ったバンドだった。

ヴィジュアルや楽曲の他に、BUCK-TICKに魅力を感じていたところがある。メンバーが不祥事を起こし一時活動を謹慎した事があったのだが、復帰作のタイトルが「悪の華」だったのだ。なんという不謹慎なタイトルだと思いながら見に行った復帰後のライブでも、ヴォーカリストは相変わらず卑猥な言葉を連呼していて、子供ながらに「うわ、全然反省してない、キテるなこの人たち」と思ったのを今でも鮮明に覚えている。だが不快感は抱かなかった、むしろ「やばい!かっこいい!」と興奮してしまった。その後にリリースしたシングルにも、明らかにアレを連想させる「スピード」というタイトルが付けられ"錠剤噛み砕いて"というギリギリなフレーズが歌われていた。テレビの音楽番組に出演した際には、所謂"当て振り"に対して中指を立てるようなパフォーマンスも行っていた。もちろんこれは私が一方的に抱いた印象で、メンバーの真意はまた別のところにあるのかもしれないが、私はBUCK-TICKが放つ猥雑で危険な香りの虜になった。──あれからだいぶ時が流れた。冷笑的空気が蔓延する今の世の中では、こういった感覚は嘲笑の対象になるのかもしれない。それでも私は、ロックの本質がここにある気がしてならない。

正直な話、ティーンの時からずっと応援しているアーティストの新作を聴くとがっかりしてしまう事が多い。年齢やキャリアを重ねていくうちに、色々な意味でレイドバックしていくのは必然だと思うし、今だからこそ出来る"円熟した大人のロック"があるのもわかる。けれども"ギラギラしていたあの頃"を、いまだに求めてしまう自分がいる。

だがBUCK-TICKだけは例外だった。デビューから33年、普遍的なポップセンスはそのままに、アヴァンギャルドな感覚を失う事はなく、暗闇はより深みを増し、先鋭的な要素を取り込みながらさらに表現の幅を広げ、その進化はとどまることを知らない。誰かが何処かに置き忘れてきた、下世話なまでに歌謡曲的なメロディーと、80年代インディーズシーンが持っていた毒々しくて尖りまくった空気を纏い、BUCK-TICKはBUCK-TICKで在り続けている。

TEXT:管理人

2020.10.11


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